12月18日(月)の毎日モーツァルト
クラリネット協奏曲 イ長調 K.622 1791年 モーツァルト35歳の時の作品 ゲスト 小塩節(ドイツ文学者) 「私にとってはね、モーツァルトのお母さんが生まれて育ち、お姉さんのナンネルがお嫁に行った、ヴォルフガング湖という、彼の名前のヴォルフガングという名前のついた湖があるんですよ。ザルツブルグのずっと東の方のザルツカマグートの中に、綺麗な、もう真っ青に澄んだ湖、そのヴォルフガング湖、彼の名前のついたその湖の上をね、風がすーっと渡っていく、まさにそういう音がこのクラリネットの音なんですよ。このモーツァルトのクラリネットですよ。真っ青に冴え渡っている湖の上を鳴り響いていく風の音、宇宙の音、それがクラリネットに篭っているような気がしまして、どこがどういう風にいいということではなくて、もうなんていいますかね、音楽そのもの、それが私の心の中をスーッと流れて行って、あの湖の上をずーっと広がっていってくれるような、で、あまり美しいもんですから、私にとってはね、ちょっと悲しくなる程、涙が出る程、美しいんですよ。美しいってこういうもんなんだなって気がします」 1791年10月 モーツァルト35歳の秋、大成功を収めた魔笛の興奮が冷めやらぬ中、バーデンの妻、コンスタンツェに手紙を書いた。 「僕がこの手紙を書いている今、君はいい湯に浸かっているんだろうね。風邪をひかないように、ちゃんと暖かく身を包むんだよ。君がいないと寂しいよ。さようなら、愛しい奥さん」 1791年10月8日 モーツァルトの手紙 遠く離れた妻コンスタンツェを気遣うモーツァルト。しかしモーツァルト自身も夏頃から体調を崩し始めていた。この頃モーツァルトは友人のクラリネット奏者シュタードラーの為に一つの曲を書き上げた。クラリネット協奏曲 イ長調 それは晩年のモーツァルトの澄み切った魂を垣間見せるような名曲だった。 クラリネット協奏曲 イ長調 K.622 第2楽章 クラリネット ザビーネ・マイヤー 指揮 ハンス・フォンク 演奏 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団 1791年10月初旬、モーツァルトはバーデンで療養していた妻に手紙を送る。 “きみが発ったあと、ぼくはシュラードラーのための曲をほぼオーケストレーションし終えたよ” モーツァルトの手紙(1791年10月) “もし仕事がなければ、すぐにでも発って1週間きみと一緒に過ごしたいよ” この時、旧友のクラリネット奏者シュタードラーのために書いた曲は、クラリネット協奏曲 イ長調 モーツァルトは完成した楽譜を演奏のためプラハ訪問中のシュタードラーに送った。 プラハ スタボフスケー劇場(旧国立劇場)は1ヶ月前に「皇帝ティートの慈悲」が初演されたばかりの国立劇場。シュタードラーはこの劇場で「クラリネット協奏曲 イ長調」を初演した。モーツァルトが書き残した唯一のクラリネット協奏曲。 クラリネットの奏でる端麗で陰影に富む旋律--その清澄な響きでモーツァルトの協奏曲の集大成と言われる。 多忙の中、夏頃から体調を崩しはじめていたモーツァルトだが、旧友シュタードラーとの約束をはたすため、この曲を完成させた。 クラリネットの名手シュタードラーはウィーン ヴィルヘルミーネンベルク宮殿の主ガリツィン侯爵に仕えていた。 ウィーンの宮廷団員だったシュタードラーとの交友を通じて、モーツァルトはクラリネットの魅力を知った。 2年前のクラリネット五重奏曲、そしてクラリネット協奏曲と、2つのクラリネットの名曲はいずれもシュタードラーに捧げられた。 10月初旬バーデンまで妻を迎えに行ったモーツァルト、ウィーンに戻ったあと生涯最後の作品レクイエムにとりかかる。
by yoshi_miracle
| 2006-12-20 22:20
| モーツァルト
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