無念なり

今日は地元の祭りの日であった。私は祭り笛を吹くようにと誘われていた。しかし祭りが近づいても練習時間が思うように取れず、休日を利用して特訓するしかない状況に追い込まれた。しかし何ということか、そんな時に限って、突然用事が出来て練習は丸つぶれであった。突然の先方の都合による来訪で、どうすることもできなかった。その人が鬼に見えた。その後、夜、家族に迷惑かけないように、人の居ないところまで車で出掛けて真っ暗闇の中練習もしたが、目指す音は出てくれなかった。
本番前の数週間前から練習してもどうにかなるものでは無かったようだ。やむを得ず、涙を飲んで本番で笛を吹くことは諦めた。笛隊の人の世話役に廻った。世話役と言っても実質は、やかん持ちである。炎天下の元で笛を吹くのはかなり喉が渇くものだ。その為にやかんに氷水を持って笛隊について歩く。
祭りの日年老いた母も見に来てくれたようだ。帰って涙ぐんでいた。私の晴れ姿を見れるものと思っていたらしいが、太鼓のバチや、やかんを持って歩いている姿を目にしてつらかったのだろう。私も親孝行できずに残念、無念であった。私にとって今日は屈辱の日であった。
この1年間、笛の練習を優先させなかった私の自業自得でもある。祭り笛をあまりにも甘く見ていた。篠笛とは違う。低い音が出ても役には立たぬのだ。一オクターブ高い音を出し続けなくてはならない。来年に向けて頑張らねばならぬ。今度こそ親孝行せねば。
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by yoshi_miracle | 2006-10-15 21:17 | つれづれなるままに
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